[水を飲み込む]  Eng
2007
不要になったもの,鉄,コンクリート,木,ガラス
6.6x5.3x2.3m(室内)
なびす画廊,東京
2007.03.12-03.19
撮影:山本糾/YAMAMOTO Tadasu






「フォント  〜で日を見る」

彫刻家にできること。それは事実を事実として見ることだ。
何かにすり替えたり、偽る必要が無い。
私はイメージや物語と呼ばれるものに対して懐疑的だ。
日常生活を送る上ではそれらを楽しむが、自身の作品の上では好まない。

近頃の戦争や殺人事件について考える。社会的な秩序をもってする判断の前に
人間の価値とはどれほどのものなのか?と疑問が湧く。
同じ地上に立つという意味においては、物と人は同等の質を持つ。
もし違うとしたら、それ自体が変化しているかどうか、思考するか否か。
しかし、私はそれらが違うものであると断言することができない。

人間が暮らしのために産みだした様々なもの。
始まりはただの物質。それらが長い年月や関係を持ち、機能を終える。
それでも残っているそれらは、一体何なのか。
決してメランコリックな感情や衝動から想像するのではない。
それらが持つ言葉と人間が持つ言葉。そこには共通の言語が存在すると私は考えている。
その一つ一つを通過して、溢れた部分。それが今は真実に思える。

ここで創るのはひとつの字体  フォントである。
もし何か確たるものがあるとしたら、その起ち方の先。にある気がする。

利部志穂